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金井畳店の歴史
歴史って聞くと
なにやら敷居が高そう。
いいえ、そんなことはありません。
金井畳店の歴史は、思わず顔が綻んでしまう、
心温まるおはなしの数々です。
明治から時代の移り行くさまと一緒にお楽しみください。
沿革
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(写真: 右側)
新潟の実家が畳屋になり、修行の後、初代・三蔵は単身新潟より上京。
浅草橋の地に金井畳店の看板を掲げる。 -
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二代目、勇が京都に迎えにきたことをきっかけに名残惜しくも浅草橋へ戻る。
京都で得た技術や知識を活かし、店で働く職人を差配するなど中心的な役割で働き始める。 -
多くの弟子を迎え入れ、更新の指導を積極的に行う。二代目を説得しその当時関東ではとても珍しかった「久保式畳製造機」を導入。
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二代目・勇の急死に伴い、三代目・稔31歳の若さで突然社長となる。急なことで戸惑いながらも時代の変化とともに、とにかく忙しく働き、会社を成長させる。
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埼玉県畳高等訓練職業校は、全国的にも指導が厳しいと有名な学校。髪型は五厘刈りで毎朝六時に点呼、朝礼…などと厳しい指導を持ち前の根性で三年間みっちりと学ぶ。
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無事に三年間の訓練生活を終え意気揚々と自宅に戻る功。しかし、自分の部屋がなくなっており、作業場2階の窓もない部屋をあてがわれた。訓練校時代をはるかに超える厳しい修行生活の始まりであった。
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訓練校を卒業し3年。まだまだ続く厳しい修業。お金がなく、銭湯のお金を節約するべく雨をシャワー代わり、雨が降らない日は洗濯機に入るなどし、修業時代を乗り越えた。
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「畳製作 技能士」としての資格が二級から一級になったころ、功は26歳。
この年、最愛の妻と結婚。現場を任せられる。 -
日々の業務に向き合いながら、自身で会社のホームページを構築。地域に根付いた畳店経営を目指し、商品名を隅田川にかかる橋や台東区にある地名などを用いて、幅広くお客様と向き合う。
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金井畳店に入社し、17年。三代目・稔から四代目・功へ世代交代。
尊敬する畳職人の大先輩に師事し、大切な事を日々学ぶ。学んだ事を次の世代へと、弟子を積極的にとり後進の指導に従事している。 -
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