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金井畳店四代目先生が教える「畳の歴史」
「畳の歴史」はどれだけの歴史があるのでしょうか?
いまや調べれば「畳の由来」やら「古事記には畳があった」など、調べれば沢山の情報を得られます。
四代目先生versionということで、本日の「たたみの教室」では分かりやすくざっくりお話しできたらと思います・・・。
(あくまで私感ですが)
畳になるまで①「稲の伝来」
むかしむかしあるところに、稲が伝わってきました。
先人たちは実ったお米を収穫後、稲わらが何かに活用できないかと考えました。
稲わらを筵(むしろ)のようにして編むことが出来た先人たち。
その敷物を何層にも重ねて厚くクッション性のあるものに仕上げました。
あまりにも使い心地が良いので、、
表面を藺筵(いむしろ・・・現在のいぐさを使った畳表)でくるみ、日本の四季に対応した敷物を生み出し、高貴な方が一段高いところに座る象徴の座具、そして寝具として使われるようになりました。
むしろ【×筵/×莚/×蓆/▽席】
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
1 藺い・わらなどを編んで作った敷物。
2 風流な会合などの席。えん。「うたげの―」
[類語]敷物・畳・上敷き・薄縁うすべり・茣蓙ござ・花茣蓙・花筵・薦こも・敷き藁・絨緞・緞通・毛氈もうせん・カーペット
畳になるまで② 「置き畳としての敷き方」
現代で言うところの「置き畳」。実は、昔にも部屋に敷き詰められる同じ敷き方をされていました。
それは、建物の作りが「寝殿造り」から「書院造り」に変わったころ。時代で言うと「室町時代」です。
一般的な畳が使われるようになったのは江戸時代後期とされています。
寝殿造(しんでんづくり)とは、平安時代から中世にかけての上層住宅の建築様式である。
書院造(しょいんづくり)は、日本の室町時代から近世初頭にかけて成立した住宅の様式である。寝殿を中心とした寝殿造に対して、書院を建物の中心にした武家住宅の形式のことで、書院とは書斎を兼ねた居間の中国風の呼称である
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
畳になるまで② 「畳と正座の関係」
畳が部屋全体に敷かれた室町時代から、桃山時代から江戸時代へと時代がうつり変わります。
その時代の移り変わりと共に草庵風茶室が発達し、茶道の発展に伴って数奇屋風書院造りに変わり、炉の位置によって畳の敷き方が決まり、日本独特の正座が行われるようになったと言われています。
正座って素敵ですよね!ちなみに畳を縫う基本姿勢は正座です。
畳になるまで③ 「ヘリ無し畳からさまざまな畳へ」
むかし、畳縁はその柄や色で座れる人が決まっていました。
江戸時代後期より一般的に使われていた畳は、現代で言うところの「ヘリ無し畳」が敷き詰められて使用されています。
その後時代は変わり、様々な生活様式に合わせた形で「畳」も変化していきましたが、私が思う畳の歴史は、日本の気候風土に適した敷物を先人たちが考え育んできたものと捉えています。
畳の歴史まとめ
現代の暮らしと畳
現在の建築構造は、昔の建物と違い密封性・断熱性に優れ、エアコン・暖房の生活が快適です。
一方、ライフスタイルによっては、別の問題があるのも事実です。畳のダニやカビ問題もその一つといえるでしょう。
昔の建物や建築条件は通気性がよく、稲ワラ畳とも相性がよく、ダニやカビの問題は非常に少なく、それなりに快適だったのではないでしょうか?
これからの暮らしと畳の可能性
しかしながら、現代の住まいに対応するように畳もまた素材や原料も進化してきています。
四季がある日本の気候・風土、建物構造と建築素材、そしてライフスタイルを調和する畳(住まいの基点となる畳)は無くしたくはないものです。
植物の上で生活できる文化は、日本固有の文化です。
自然を慈しみ感謝から生まれた「畳」という敷き物の歴史には「癒し」と「感謝」が常にそばにあったように感じています。
生活するうえで、非常に便利になった世の中や住まいの状況ですが、この自然と向き合うことを先人たちが紡いできた歴史があります。
これこそが「畳の歴史」だと考えます。検索すれば出てくる「畳の歴史」。
その裏側にはたくさんの繋がってきた想いの歴史もある事を、お伝えしたく指を動かしました。
見てくださった方、ありがとうございました。
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